シブヤン海に沈んだ戦艦『武藏』の生存者約一四〇〇名は、そこからあみだくじのような生死の分かれ目に踏み入る。約七〇〇名は内地・台湾に向かうも、うち三〇〇名は輸送船の沈没により死亡。残り約七〇〇名はフィリピンに残され、うち九割はルソン島の陸上戦闘で戦病死を遂げる。その運命も知らず、コレヒドール島ではまだ記憶の新しいうちに『戦闘詳報』の作成が試みられた。彼らはいかに健気に誠実に、その作業に取り組んだのか?
文=手塚正己(歴史群像2020年12月号)
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背景の写真は、昭和19年10月24日、シブヤン海で米軍の攻撃を受ける『武藏』。回避運動を行っているが、巨艦の割に小さな回頭半径に注意。前方を横切る駆逐艦は『清霜』と思われる。下の刷物は、『武藏戦闘詳報』原本の第一頁目に当たる扉[以降、同原本の画像はすべてJACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030565200]。
「戦闘詳報」とは
陸軍でも海軍でも、一方面での戦闘が終結すると、彼我の兵力や展開状況、戦闘の経過と令達報告(通信の記録)、戦果と損害、兵器や弾薬、燃料などの損耗調査表、戦訓所見などがまとめられる。これが『戦闘詳報』と称される戦闘記録書で、作成に当たっては各指揮官が体験した各種の戦闘状況や判断措置、航海科や機関科の日誌、発受電報や信号などを資料として、日数をかけて詳細な報告書を作成する。
戦闘を実施した指揮官は、完成した『戦闘詳報』を上級指揮官はじめ、海軍大臣と軍令部総長宛に提出した。また海軍大臣宛のものは、海軍省内の関係部署で閲覧したのちに、海軍人事局功績調査部において、論功行賞の参考資料として活用された。
『戦闘詳報』のほかに、『戦闘概報』や『戦時日誌』、『行動調書』なども、戦闘の実態を知る上で貴重な記録である。『戦闘概報』は戦闘時における戦闘や戦果の概況、被害の状況、自艦あるいは艦隊の現況報告を主体に電報で速報し、次期戦闘の参考資料とした。『戦時日誌』は作戦経過概要、人員の現状、令達報告、参考の項目などからなっている。『行動調書』は各種艦船や航空機隊の行動を記録したものである。これらの記録書類も、『戦闘詳報』と同様の経路をたどって、最終的には海軍人事局功績調査部に送られ、整理活用された上で保管される決まりになっていた。
『戦闘詳報』の作成と提出は、戦艦から海防艦まで、大小の差を問わずに個艦単位の戦闘状況を記したものや、戦隊や艦隊などの作戦遂行集団の実績と成果を報告したものまで多岐にわたる。それは水上部隊だけでなく個艦の潜水艦や潜水艦部隊、飛行機隊にまで及ぶ。
戦闘記録は主計科の主務とされていた。艦艇の場合だと、主計長の次席が戦闘記録員となって、艦橋において戦闘状況と経緯を記録する。記録とはいっても、一人で全戦闘部署の活動を描くことは不可能である。そこで戦闘が終息した早い時期に、各科から集められた戦闘時における記録を分析整理してまとめる。完成した『戦闘詳報』は艦長の認可を受けたのちに、上級指揮官のもとに送られる。