日本空母論

日本空母論

日本海軍が目指した空母 ― その理想と現実

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『鳳翔』の原案となった先進的なプランに始まり、大型の多段甲板空母で試行錯誤を経た日本海軍は、戦術思想の変化を受けて遂に傑作艦『飛龍』『翔鶴』を生みだす。

さらに理想の空母を追求しようとするとき、戦局という現実に迫られた日本海軍の選択は狭く限られていった。

文=古峰文三(歴史群像2020年2月号)

【タイトルバック画像】

写真左上は試験走行中の『赤城』。下向き煙突の排煙を海水噴霧で冷却している。その下は『大鳳』で、右上にかかる航空機は、日本の艦上機中最大重量となった『流星』、米軍による捕獲後の姿。タイトルのすぐ上は就役時の『飛龍』。タイトル下の写真は、昭和12年に撮影された『加賀』の「総飛行機発艦」準備中の様子。

日本空母の特徴とは何か?

太平洋戦争の勝敗を決した洋上航空戦で主役を務めた日本海軍の航空母艦の特徴は、敵となったアメリカ海軍の航空母艦と比較することにより鮮明に見えてくる。

日本空母にはアメリカ空母にない長所があり、その一方で短所と評される部分も少なくない。日本空母の多くは閉鎖式格納庫を持ち、耐候性に優れ、二段式の格納庫の床面積はアメリカ空母を凌ぐ。アメリカ空母の多くは開放式格納庫を持ち、格納庫の床面積は小さいものの天井が高く、日本空母と比較して艦の規模に対する搭載機数が多い。そしてカタパルトの装備によって同時発艦機数も日本空母を凌ぎ、被弾時の抗堪性も高かったとされる。上面の形においては日本空母は先細りの飛行甲板を持ち精悍な印象を与えるのに対して、アメリカ空母はエセックス級、インディペンデンス級、その他護衛空母のような戦争中期以降の就役艦では無骨な印象を与える角張った飛行甲板を持つ。

太平洋を挟んで対峙した二つの海軍が建造した空母に、どうしてそのような性格の違いが生まれたのか。そして違いが生まれた原因は思想的なものなのか、あるいは両国の国民性の違いなのか、それともただ偶然に支配された結果だったのか。本稿では、こうした疑問を日本空母の生い立ちから遡って明らかにして行きたい。

日本空母建艦思想の源流と変転

原田正作大佐の「飛行機母艦」案

日本海軍は大正三年(一九一四)、第一次世界大戦に参戦すると共に特務艦『若宮わかみや』にファルマン水上機を搭載して青島攻略戦に投入した。輸送船『若宮』に水上機を搭載しただけの応急の水上機母艦だったが、偵察だけでなく爆撃作戦も実施した。

この『若宮』の艦長を務めた原田正作大佐が第一次世界大戦中の大正六年(一九一七)に提出した「飛行機母艦」建造の意見書は、日本海軍の航空母艦構想の源流を知る好材料といえるだろう。まだイギリス海軍でも近代的な航空母艦の姿が定まらなかった時期に、日本海軍は独自の装備と独自の運用構想で航空母艦の姿を思い描いていたのである。

原田大佐の「飛行機母艦」は一等巡洋艦程度の船体を持ち、艦尾のスロープを使って水上機を拾い上げ、軌道に載せて艦の前部へと移動して滑走台を使って発進させる形態だった。

この「飛行機母艦」が水上機母艦の形をとったのは、第一次世界大戦直後まで日本海軍には陸上機型の実用機が存在せず、すべての海軍機は水上機の形態だったからである。

この意見書が提出された大正六年(一九一七)十月とは、イギリス海軍が商船改造で生み出した世界初の航空母艦『アーガス』が発着実験を始める約一年も前のことで、この時点では車輪式の陸上機を発着させる形態の航空母艦は世界の何処にも存在していなかった。

さらに注目すべきは、原田大佐案の「飛行機母艦」が持っていた攻撃的性格で、まだ航空魚雷すら構想段階だった時期に爆撃、雷撃、対潜哨戒、偵察などに加え、艦隊決戦時に搭載機が連携機雷※注1を敵主力艦隊の前方に投下して、日露戦争の際に構想された連携機雷戦を飛行機で実施する構想までが述べられていることだ。そして搭載機は常用二四機、予備八機とされ、その理由は一隊一二機を敵艦攻撃に当て、残る一隊が攻撃隊を敵飛行機の妨害から護る戦闘機としての役割を担うとしている。

そして「飛行機母艦」は巡洋艦と同等以上の速力を必要とすることや、軽巡程度に対抗できる砲力を持つべきことが述べられ、主力部隊より前方で行動する高速艦である必要が説かれていた。

原田大佐の「飛行機母艦」の規模は一万トン級で、単艦で活動する秘密兵器的な存在ではなく、数隻が戦隊を組んで活動する新艦種として提案されており、搭載する飛行機が水上機であることを除けば太平洋戦争時の航空母艦の概念に近い。技術的にはまったく未成熟だった日本海軍航空隊で生まれたこの「飛行機母艦」構想は、時代を先取りした驚くべき構想だといえる。そして艦の規模と要目が、実際に建造された『鳳翔ほうしょう』や、計画されていた『翔鶴しょうかく※注2』型に繋がり近似的に実現したことも見逃せない。日本航空母艦の源流近くにこのような攻撃的運用構想が存在したことは注目に値する。


注1:ロープ等で複数の機雷をつなぎ、そのどこかに引っかかった艦船が自ら機雷をたぐり寄せる仕掛け。

注2:㊂計画で建造された『翔鶴』型ではなく、『鳳翔』の準同型艦として計画されていた艦のこと。