ヒトラーの再軍備宣言の10年も前から計画され、密かに推進されていたドイツ陸軍の増強と近代化は、考えられてきた以上に大規模で巧妙なものであった。知られざる巨大陸軍建設計画の実相に迫る!
文=守屋 純(歴史群像2019年12月号)
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背景の写真は1936年9月、国防軍を閲兵するヒトラー。壇上には、やがて解任されるブロンベルク、敬礼するフ リッチュやゲーリング、レーダー、壇の手前にはナチス高官ヘスの姿が見える。左上はワイマール共和国の統帥部長官を務めたハンス・フォン・ゼークト(1866-1936)。
今日まで続く神話
ドイツ近代の歴史について、国防軍もドイツ第三帝国も滅び去った後になっても、まだいくつかの神話が残り、それがあたかも歴史上の真実であったかのように一般に流布している。ここで取り上げるのは、ワイマール共和国時代から秘密裡に進められていたドイツ再軍備にまつわる一つの神話の実像である。
ここで言う「神話」とは次のようなものである。
「一九二〇年にワイマール共和国軍(ライヒスヴェーア)統帥部長官に就任したハンス・フォン・ゼークトは、戦勝国や世論の眼をあざむきながら、秘密の再軍備計画を立案した。それによると、とりあえず国軍の総兵力は二一個師団とする。任務は国土防衛、特に国境と沿岸の防衛を第一とする。想定される戦争はポーランドによる攻撃だけである。一九三〇年に、当時の国軍大臣ヴィルヘルム・グレーナーは、ドイツの軍事政策は純粋に防衛的性格のものであり、大戦争になるのを未然に防止することであると明言していた。だから、軍備拡張はヒトラー政権になって突然、彼(ヒトラー)の独断で始められたものであり、一九三五年の再軍備宣言も軍部に何の相談もなく、三六個師団・五〇万人という兵力数を公表してしまったのだ。その結果、予定にないスピードで軍拡が推進され、十分な予備も弾薬の備蓄もそろわないまま一九三九年に大戦に飛び込んでいってしまった」
たしかに、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判で、旧独軍関係者は口をそろえて、一九三九年の開戦当時、ドイツがどれほど戦争の準備が整っていなかったのかを力説した。たとえばOKW(国防軍最高司令部)国防統帥局次長ヴァルター・ヴァルリモントは、「一九三九年のドイツ軍ほど戦争の準備ができていなかった軍隊はない」と証言している。これはあながち自己弁護のための言い逃れとは断定できないが、さりとて事実の一面しか表現していない。それは、一九三九年九月一日、対ポーランド戦「白の件」が発動された時、ドイツはポーランドに対して六四個師団、西方に対して四五個師団、合計一〇九個師団を動員した。すると、一九三三年にヒトラー政権が成立するまでは歩兵と騎兵あわせて一〇個師団で、それに拡張予定分をいれて二一個師団だったとすれば、一九三五年の再軍備宣言からわずか四年間でどうやって一〇〇個師団超にのぼる大軍を編制できたのか。
このように視点を変えて考えてみると、ヒトラー政権成立以前のワイマール共和国軍の時代から、すでに大掛かりな再軍備計画が実行中だった、そしてヒトラーによる再軍備宣言はこの流れに乗ったものだったのであり、第二次世界大戦はその結果だったと言えることになる。そこで本稿では、ゼークトに始まるドイツ国軍(ここでは専ら陸軍のこと)の再軍備計画の発生とその後の流れを追っていくことで、ドイツの第二次世界大戦への道が、ヒトラー以前から連続していたという実情をたどってみたい。