戦前の航空技術躍進時代、華々しい機体設計の陰に隠れた小さな新技術として沈頭鋲(ちんとうびょう)が存在した。日本とアメリカでほぼ同時に導入された沈頭鋲にはどのような違いがあったのか?
文=古峰文三(歴史群像2017年12月号)
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三菱重工名古屋航空機製作所で組み立てられる十二試艦上戦闘機一号機。零戦の試作機と初期の一一型は平山技師考案の「平山鋲」が用いられているが、試作二号機の空中分解事故によりその原因が「平山鋲」にあるとの疑いがかけられた。
零戦伝説を彩る「沈頭鋲」
アニメーション映画「風立ちぬ」で若き堀越二郎が定時後に勉強会を開き、次期戦闘機に全面的に採用する予定の新機軸として、その場で平山広次技師と「平山鋲」を紹介するシーンがある。
希望と野心に満ちた、戦前の若手技術者の熱意が伝わる懐かしい光景である。ここで紹介された「平山鋲」とは何か。そして同じ三菱重工名古屋製作所という狭い社内に働きながら、どうして平山技師は堀越二郎が紹介を必要とするまで若手設計技術者たちに名前と顔を知られていないのだろうか。
「平山鋲」とは、平山技師がゼロから考案したオリジナルの技術ではなく、当時世界的な潮流として同時多発的に使われ始めた平頭型の鋲、沈頭鋲である。平山技師はその最先端の流れを敏感に察して、自社で用いる自社規格の沈頭鋲として「平山鋲」を考案したのである。
そしてもう一つ、堀越二郎の直接の後輩たちが、堀越二郎に紹介されるまで平山技師の名前と顔を知らなかったように見えるのはなぜだろうか。
それは物語上の演出だけではなく、堀越二郎たち機体設計者の技師と、平山技師の働く職場は日常的な接触がなかったことによる。
平山技師は工作部の技師で、設計部門ではなく量産機の製造部門に勤める技師だった。
同じ技術者であっても機体を設計する設計課と、設計された機体を製造する機体工場側の工作部は、建前ではともかく、実際には対等の立場とは言い難かったのだ。
そして、三菱で「平山鋲」と呼ばれた航空機用の平頭型鋲、すなわち沈頭鋲とは、機体設計者が選択し、その詳細は工作部が詰める工作法の一つに過ぎず、極端に言えば名前の要らない技術だった。
しかし、沈頭鋲は零戦の高性能を支えた技術の一つに数え上げられることも多い。
沈頭鋲とはいったいどのような技術だったのだろうか。
沈頭鋲の登場
全金属製飛行機の外板を桁や肋材に鋲止めし、外板同士を重ねて鋲止めする際には、接合する部材に鋲の心棒が通る孔を空け、そこにキノコ型の鋲を差し込んでから工具を使ってキノコ型の鋲の軸を反対側から叩き潰して接合部を固く締め付ける。
この時、外板表面には半球形の鋲の頭が突出するので通常の鋲は丸頭鋲とも呼ばれる。工作が比較的簡単で耐久性に優れる特長を持っている。
だが丸頭鋲はその名の如く、機体表面に鋲の数だけの小さな半球形の突起を生み、この鋲頭によって機体表面の平滑性は大きく損なわれる。
胴体はまだしも、主翼などの、できる限り平滑な表面を得たい部分に丸頭鋲の鋲頭が列をなしているのは、物理的な根拠はともかくも、潔癖症の技術者たちにとっては「気分が悪かった」のである。
こうして丸頭鋲は、航空工業界で比較的早い時期からいずれ克服すべき課題として捉えられていた。

その回答である、鋲の頭を突出させない鋲接法は、航空工業界の外側にすでに存在していた。
造船やボイラーなどの製造では、工作部位によって鋲頭の平らな鋲が使われており、それを航空機製造に応用することは発明でも何でもなかった。
もともと鋲には丸頭と平頭があり、平頭の鋲は接合する材料の側に軸を通す穴だけでなく、頭が平らな分だけ軸側に円錐形に飛び出している鋲頭部分を収める凹みを造らなければならない。
厚い部材では切削加工で円錐形の孔を削る必要があり、薄い板材ならば専用工具で叩いて凹み(ディンプル)を作らなければならないということだ。
すなわち、鋲には工作が比較的楽な丸頭鋲と、ひと手間もふた手間も余計にかかり工作が面倒な平頭鋲(=沈頭鋲)の二つが、誰かが発明者として名乗りを上げることができないほど、当たり前に存在していたのである。
平頭の鋲が航空工業界でなかなか採用されなかったのはその技術に無知だったからではなく、平頭の鋲を航空機に用いれば工程が煩雑になり、同時にコストが嵩むためだった。
航空機の設計が木と布で造られた脆弱な機体から、耐久性に富む全金属製機体へと急速に移り変わっていく一九二〇年代後半から一九三〇年代前半にかけての航空工業界は、全金属製機の製造そのものの習得に苦労を重ねている最中である。工作の面倒な平頭鋲に余力を振り向けることなど二の次の問題だったともいえる。
こうした事情があるため、〝沈頭鋲を最初に採用した航空機〞というタイトルは、戦闘機でもエアレーサーでもなく意外にも飛行艇が持っている。
野心的な航空技術者であるチャールズ・ホールが、一九二六年に特許出願した沈頭鋲をPH-1飛行艇に初めて使い、これが世界初の沈頭鋲採用航空機となった。
だが、その後が続かなかった。アメリカ陸軍航空隊も海軍航空隊も第二次大戦開戦後まで沈頭鋲に振り向かず、チャールズ・ホールもその特許によって膨大な富を築けたわけでもなかった。
沈頭鋲はチャールズ・ホールの特許に限らず、似たようなものが各国で出現していたからである。
そしてアメリカ陸軍はチャールズ・ホールの沈頭鋲特許を採用せず、航空機材料として規格化もしなかった。
その理由は、アメリカ陸軍の技術開発部門が、沈頭鋲に必須の鋲頭を収めるディンプルの加工によって、接合するジュラルミン板材が延ばされ、そこから疲労による亀裂を生じる可能性があると考えたことによる。沈頭鋲は堅実な構造を尊ぶ軍用機には不適当だと判定されたのだ。
陸海軍が沈頭鋲に冷淡な態度を示したため、この新技術は軍用機ではなく民間機から広まり始めるのである。