化学兵器の歴史

化学兵器の歴史

「貧者の核兵器」と呼ばれた禁断の兵器の誕生と発展

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国力がない小国でも手にすることができ、今日では大規模テロの手段ともなってわれわれの日常を脅かしている化学兵器はいかにして生まれ、成長を遂げていったのか。古代から現代までの足跡を追う。

文=小林直樹(歴史群像2019年6月号)

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(上)1917年1月、第一次大戦においてフランス軍によって散布された化学兵器。(下)湾岸戦争における「砂漠の盾」作戦で、防護服を着込み演習を行うシリア軍兵士。

化学兵器とは何か?

ひと口に化学兵器(CW:Chemical Weapon)といっても、その定義はなかなか難しい。突き詰めれば、人々を殺傷する化学物質のことを指すが、それではTNT(トリニトロトルエン)という化学物質から作られる通常爆弾および原油の蒸留物の一種であるナフサや、パーム油などの化学物質から作られるナパーム弾、あるいは酸化鉄やマグネシウム、黄リンなどから作られる焼夷弾も化学兵器なのかということになる。一方、ボツリヌス菌などが作り出す毒素※注1は、細菌やウイルスと同じく生物兵器に含まれて論じられるが、毒素自体は微生物のような増殖はしない毒性化学物質である。

一つの手がかりとして一九九七年に発効した「化学兵器禁止条約(CWC)」を見てみると、化学兵器を以下のように定義している。

(a)毒性化学物質および前駆物質。(以下略)

(b)弾薬類および装置であって、その使用の結果放出される(a)に規定する毒性化学物質の毒性によって、死その他の害を引き起こすように特別に設計されたもの。

(c)(b)に規定する弾薬類および装置の使用に直接関連して使用するように特別に設計された装置。

条約文なので堅苦しく理解しにくい文章だが、早い話が化学兵器とは「人や動植物に死や害をもたらす毒性化学物質」と、「それら毒性化学物質を使用するために設計された装置や道具」、そして「その毒性化学物質と、特別な装置や道具が組み合わされたもの」としている。ちなみに、条約は規制を目的としているので、毒性化学物質を作る上での元となる前駆物質も化学兵器としているが、本稿ではそれは除外しておく。

この定義を参考にその他も考慮したうえで、誤解を恐れずにあえて言ってしまえば、化学兵器とは「人間および動植物の生理機能に直接働きかけて死傷、無力化させる毒性の合成化学物質」であり、もっと広い意味の兵器システムとしては、「その毒性化学物質を砲弾や散布機器などの装置に収めたもの」ということができよう。

さらに用語としてみれば、化学兵器として位置づけられた毒性化学物質そのもののことは、一般的に「化学剤」あるいは「戦用化学剤」と呼称されている。

通常の火薬は別として、さきにも述べたナパーム弾や焼夷弾は、「特殊な化学物質に工夫を加えて作られた兵器」ということから、かつては化学兵器として論じられたこともあったが、今日では物質の化学反応によって生み出される熱や火炎が殺傷効果を発揮するということで化学兵器として扱われない傾向にある。いずれにせよ、有毒な化学物質による直接的な生理作用による殺傷・無力化というのがポイントであろう。そして毒素は作用機序が同じだが、生物由来ということから、国際条約上、生物兵器に分類される。


注1:「毒(poison:ポイズン)」はすべての毒物を指す言葉であり、本稿の化学兵器もこの部類に入る。「毒素(toxin:トキシン)」は分類的にその毒に含まれるもので、生物由来のものをいう。「ベノム(venom)」は毒素に含まれるもので、ヘビ毒のように生物が分泌する毒性の粘液のようなものをいう。

初期の化学戦

争いの歴史の上で、有毒な化学物質が用いられだしたのは政治の世界だった。政敵や自分の反対者の毒殺──いわゆる暗殺である。暗殺に用いられた毒物としては、トリカブトやドクニンジン(セリ科の有毒植物)、ヘビ毒など、生物由来の毒素のほかに化合物があった。

イタリア・ルネサンス期における有力貴族であったチェーザレ・ボルジア(一四七五~一五〇七)のボルジア家には「カンタレラ」という暗殺用の毒物が存在したという。その正体にはさまざまな説があるが、砒素化合物である猛毒の亜砒酸あひさんだったとする説が有力視されている。亜砒酸は一九九八年に起こった和歌山毒物カレー事件でも使用されている。

ヨーロッパの王侯貴族たちが毒殺を恐れていたことは、彼らが銀製の食器を用いて食事をしていたことからもわかる。鉱物である硫砒鉄鉱りゅうひてっこうは、加熱すると猛毒の亜砒酸が生成される。つまり食材に硫砒鉄鉱を混ぜて調理し、食べさせることで毒殺が可能となるのだが、硫砒鉄鉱に含まれる硫黄いおうは銀と反応し、銀食器を黒く変色させるので、毒物が混入していることがすぐにわかるのだ。銀製食器が王侯貴族たちに好まれた背景には、その美しい輝きと富の象徴ということだけでなく、毒殺から自分の命を守るためでもあったのである。

こうした個人の暗殺ではなく、戦争という大規模な殺戮の場での有毒化学物質の使用例としては、アテネとスパルタの間で行われたペロポネソス戦争(紀元前四三一~四〇四年)が挙げられる。この戦いでは、スパルタが都市国家プラタイアイを攻撃した時、硫黄や松ヤニ、その他の樹脂の混合物を燃やして亜硫酸ガス(二酸化硫黄)を発生させたとされる。また、ビザンチン帝国(三九五年成立)は、同じく硫黄や松ヤニ、そしてナフサから作られた焼夷剤を陸戦や海戦で用いたとされる。これは「ギリシャ火」と呼ばれ、今日でいう焼夷弾やナパーム弾に相当するものといえる。以降、こうした催涙作用や窒息作用、あるいは燃焼による殺傷を目的とした「初期の化学戦」が実施されるようになる。