戦略・作戦分析 朝鮮戦争【後編】

戦略・作戦分析 朝鮮戦争【後編】

中国軍の介入と膠着する戦線

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北緯三八度線を越え、北朝鮮領内に雪崩れ込んだ国連軍。しかしその前面に新たな敵・中国軍が出現した。目まぐるしく攻守が入れ替わる激戦の果て、やがて戦いは寸土をめぐる消耗戦に突入する。南北分断のまま休戦状態となった背景を政治と軍事の両面から探る。

文=山崎雅弘(歴史群像2019年6月号)

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(下)中国軍の第二次攻勢を迎え撃つべく展開したアメリカ軍部隊。(上)中国軍の兵士たち。


朝鮮半島で行われた米中の「代理戦争」

東西冷戦※注1の終結から四半世紀以上が経過した現在、アメリカは東アジアで二つの国を相手とする軍事的な緊張状態に直面している。

一つは北朝鮮の保有する核兵器と弾道ミサイルの脅威で、もう一つは南シナ海における航行自由原則の確保をめぐる中国との対立である。だが、アメリカ軍はかつて、この二国の軍隊と戦場で砲火を交え、激しい死闘を繰り広げた経験を有している。

一九五〇年から五三年の朝鮮戦争である。

北朝鮮軍の韓国侵攻によって戦争が勃発した時、中国の最高指導者・毛沢東は、この戦争で北朝鮮を積極的に支援する意思を持たず、北朝鮮軍優勢で戦局が推移した序盤では、事態を静観する構えを見せていた。だが国連軍の仁川インチョン上陸で戦況が一転すると、中国は劣勢に立たされた北朝鮮軍を支援するか否かという重要な決断を迫られた。

そして、北朝鮮軍を撃破した国連軍が北緯三八度線を越えて北上し、アメリカ軍と韓国軍の部隊が中朝国境を流れる鴨緑江おうりょくこうに迫ると、中国はこれを自国の安全保障面での重大な脅威と捉えて、それを排除すべく、朝鮮戦争への軍事介入を決断した。

核保有国アメリカとの全面戦争を回避するため、形式的には正規軍ではない「義勇軍」の体裁がとられたが、総指揮をとったのは中国人民解放軍におけるエース級司令官の彭徳懐ほうとくかいで、中国介入後の朝鮮戦争は、当事国の韓国軍と北朝鮮軍が脇に下がり、実質的にはアメリカ軍と中国軍を両陣営の主力とする、捻じれた「代理戦争」の様相を呈していた。

そして、装備や戦術面でアメリカ軍に劣る中国軍は、兵員数の優位と地形を利用した部隊展開の妙で敵軍の弱点を衝き、戦線を北緯三八度線よりも南へと押し下げることに成功する。この中国軍による戦局の巻き返しは、当時の国際社会を驚かせ、誕生間もない中華人民共和国という国家の潜在能力を内外に知らしめる結果となった。

それでは、中国の毛沢東はいかにして朝鮮戦争への介入を決断したのか。当時の中国人民解放軍は、どのような装備と編制内容で朝鮮半島に派兵され、司令官はどんな戦略と作戦でアメリカ軍を中心とする国連軍と対峙したのか。また、部隊の練度でアメリカ軍よりも劣ると考えられていた中国軍が、なぜ介入直後に各地で勝利することができたのか。

本稿では、前号掲載の「前編」に続く中国参戦以後の朝鮮戦争を、政治と軍事(戦略、作戦)の両面から読み解き、現在までに明らかになった各種の情報を基に、韓国対北朝鮮という当初の二国間戦争の構図から、アメリカ(とその同盟国)対中国(およびソ連)という東西対立の構図へと変質していった朝鮮半島の動乱を、俯瞰的に検証してみたい。


注1=東西冷戦は、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊と、同年12月2日~3日にマルタ島で行われたブッシュ(父)=ゴルバチョフの米ソ首脳会談における「冷戦終結宣言」で終結したと見なされている。東の超大国ソ連は、2年後の1991年12月31日に崩壊した。