戦後、ドイツ軍の将帥たちはモスクワ前面の敗戦を「冬将軍」によるものと主張した。
では、前もってどのような対策が採られていたのか──。
ドイツ軍の対ソ戦の見通しの甘さと冬季装備準備の杜撰な内実とは。
文=守屋 純(歴史群像2018年12月号)
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支給されたコートを着用して歩哨に立つ東部戦線のドイツ軍兵士。こうした冬季装備はなかなか前線に送られず、さらにロシアの厳冬をしのぐには十分ではなかった。
国防軍の対ソ戦認識
一九四一年六月二十二日、対ソ「バルバロッサ」作戦を開始した時、ドイツ軍首脳部はヒトラーと同様、まったくの楽観気分で開戦を迎えた。例えば陸軍参謀総長フランツ・ハルダーはソ連を窓ガラスに例えて「たった一度、拳で打つだけでよい。それですべては粉々になる」と表現した。そしてハルダーは開戦後一三日目の七月三日、『作戦日誌』にこう記した。
「対ソ戦は二週間以内で終結したと言っても過言ではない」
ドイツ側にとっては、対ソ戦もこれまでの諸作戦と同様、一か月ほどで終了する短期決戦のはずであった。だから当然、ロシアでの作戦には欠かせないはずの冬に対する備え、すなわち冬季装備の必要性も全く考慮されていない。それでいて、実際に一九四一~一九四四年の間に三度の厳しいロシアの冬を経験すると、戦後になってから旧ドイツ軍関係者は口をそろえて、対ソ戦の最大の敗因を「冬将軍」のせいにした。例えば、「バルバロッサ」作戦当時の第4軍参謀長ギュンター・ブルーメントリットは、
「冬季の影響に関していえば、ロシア側の反攻作戦によるよりも、むしろ天候からくる被害の方が大きくかつ危険であった。士気の低下ということ以外に、気象条件がドイツ側の被害を一層大きくした。それは少なくとも、この冬のロシア軍から受けた被害と同程度に重大なものであった」
しかし現実には予期せぬソ連側の抵抗により、一九四一年八月には早くも「バルバロッサ」作戦の修正のやむなきにいたり、冬将軍到来の可能性も視野にいれざるをえなくなっていた。にもかかわらず、ドイツ軍首脳部、特に参謀本部では早めの冬季装備、特に設営機材と被服について、真剣に対処した様子はない。戦後になると、参謀総長だったフランツ・ハルダーは次のような弁解をしている、
「作戦準備の段階で私はすでにブラウヒッチュ(陸軍総司令官)とともに、東部の部隊のための冬季用特別装備を要求したが、ヒトラーはこれを素っ気なく拒絶した。一九四一年七月、私は兵站総監(エドュアルド・ヴァグナー)とともに、あらためて陸軍の冬季装備の件を申し出たところ、ヒトラーはその意見書を机の引き出しにしまってしまった。そして国民に向かっては、すべての兵士がクリスマスを故郷で迎えられると保証してしまった。適切な時機に準備を怠ったため、ヒトラー自身が冬季装備のことに気が付いた時はもう手遅れであった」
このハルダーの弁解に、今日納得する者はいないだろう。それどころか、この「一九四一年七月にヒトラーに申し出た冬季装備の件」というのがそもそも怪しげな内容なのである。すなわち、「ドイツ国民に、所有する無数のスキー競技用の暖かい冬服の在庫を義捐品として供出するよう呼び掛けよう」というものであった。だから陸軍首脳部では、冬服についての真剣な考慮が七月の段階では全くなされていなかったというべきなのである。

