戦争と拳銃

戦争と拳銃

もっとも小さく身近な火器の物語

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拳銃は、小銃や機関銃よりも小型で威力も小さいが、その携帯性の高さゆえに、常に兵士や将校にとって身近な存在である。形や機能を時代に合わせて進化させてきた、スモール・アームズの代表格「拳銃」の歩みをたどる。

文=松代守弘(歴史群像2018年2月号)

【タイトルバック画像】

上右:制式拳銃コルトM1911で射撃訓練を行う第二次大戦期の米陸軍兵士。中:第二次大戦の北アフリカで兵の先頭に立つイギリス軍指揮官。その手に持つのは制式のエンフィールドNo.2。下左:第二次大戦中、ドイツ武装親衛隊が使用するマウザーM712自動拳銃。下右:米軍の“前”制式拳銃M9。


戦場における拳銃のイメージと言えば、映画やドラマなどのフィクションの画像から受ける、兵士や将校の勇気、規律を象徴する、武器を超えたアイテムとしての存在感であろう。それはマックス・アルパート※注1が一九四二年に撮影した『戦闘※注2』など、戦場で実戦を撮影した記録映像からもうかがえる。

他方、現実の軍隊や戦場での拳銃は、あくまでも小銃や突撃銃、機関銃に対する補助火器(サイドアーム)ととらえられることが多い。とはいえ、戦争の歴史を紐解けば、拳銃が主役となって戦果を記録した戦いもあるのだ。では、戦場における拳銃の姿とはいかなるものなのだろうか。

本稿では、エピソードとともに見ていきたい。


注1:Max Vladimirovich Alpert(Макс Владимирович Альперт)。1899年セヴァストポリ生まれ。ソ連を代表する戦争写真家で、「大祖国戦争」中に数々の傑作をものにし、戦中の活動で赤星勲章や祖国戦争勲章を授与された。

注2:Combat(Комбат)。プラウダ所属(当時)の写真家マックス・アルパートがヴォロシーロフグラード(現ルハンシク)付近での赤軍反攻の際に撮影。作中で拳銃を振りかざす政治将校は第220狙撃兵連隊のアレクセイ・ゴルデーヴィチ・エリョーメンコ(Алексей Гордеевич Ерёменко Aleksei Gordeyevich Yeryomenko)で、彼は間もなく戦死したとされる

サーベルと拳銃 ―騎兵武器としての拳銃―

戦場に初めて片手射撃銃(短銃、ピストルの原型)が登場したのは十五世紀末から十六世紀の欧州と考えられており、のちに日本にも「馬上筒」として伝わったようだ。そして、大河ドラマ『真田丸』で描かれたような馬上射撃が戦場で行われたが、火縄式(マッチロック)だったため、戦場での移動や装塡、射撃操作に難があり、西欧においてもその運用は限定的だった。後に十六世紀始めに着火機構にゼンマイを用いた歯輪しりん式(ホイールロック)拳銃が出現すると、それらの問題はいくぶん改善され、複数の拳銃を備えて馬上射撃を繰り返す騎兵隊も出現した。

例えば、十六世紀前期頃、神聖ローマ帝国皇帝カール五世の下で欧州各地を転戦した第三代アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドの配下に、エレルエロ※注3と称する拳銃を主武装とするドイツ人胸甲騎兵が存在していたと記録されており、兵種として認識されていたことがうかがえる。そして、拳銃装備の胸甲騎兵は三十年戦争(一八一八〜四八)やイギリス革命(一八四一〜四九)でも活躍し、クロムウェルの鉄騎隊のように軍を代表する花形とも位置づけられていた。


注3:Herreruelo(西)。名は彼らが着用した丈の短いクローク(袖のない外套。別名エリザベサン・クローク)に由来する。

銃口から発射薬と弾丸を挿入する16世紀頃の前装式ピストル。素早い再装塡は困難だった。

当時はパイク(長槍)兵が隊列を組み、その合間から銃兵が射撃するような陣形が主流であった。そのため、拳銃を装備した胸甲騎兵は長槍が届かない距離から拳銃の一斉射撃を加え、反転して後続と入れ替わりつつ連続的に射撃する、カラコールと呼ばれる騎兵戦術を用いた。カラコールはスペイン語でカタツムリを示すカラコルから転じた言葉で、敵前で回頭する様をなぞらえたとされる。

ただ、やがて胸甲騎兵は拳銃の一斉射撃に続いて抜刀突撃するようになり、ついには拳銃射撃を省略した純粋なサーベル突撃へと戦術が変化していった。これは拳銃射撃のみでは歩兵の隊列が崩せなかったことを示しており、だいたい十七世紀末から十八世紀初頭までにはサーベルと拳銃の時代も終わってしまう。いちおう、この後も騎兵用と称される拳銃は生産され続けるが、基本的に小型の護身用武器であった。

また当時、拳銃に限らず銃は基本的に一発撃つごとに弾薬の再装塡を必要とする単発銃が主であった。そのため、再装塡の頻度を少なくして間断ない射撃を可能とする装弾方式の改良も試みられている。

このような流れを背景として、一八三六年にアメリカで登場したのが回転式の弾倉を備え、連発可能なコルト・パターソンである。第二次セミノール戦争※注4において少数が限定的に使用され印象的な活躍を見せた他、同時期に発生したバンデラ峠の戦いでも、コルト・パターソンを装備した数十人のテキサス・レンジャーズが圧倒的多数の(一〇倍以上との説もある)先住民戦士を撃退して、連発式の効果と威力をしめした。

そして、コルト・パターソンに感銘を受けた合衆国軍士官サミュエル・ウォーカー大尉が開発に参加し、大幅に改良されたコルト・ウォーカーモデルが登場する。コルト・ウォーカーモデルは当時の回転式連発拳銃(リボルバー)を代表する存在となり、その派生型を含めて騎兵用小火器を一新するほどの衝撃をもたらした。

コルトの各種回転式拳銃は米墨戦争(一八四六~四八)でも活躍し、南北戦争(一八六一~六五)が始まるまでにはアメリカ騎兵隊の主要装備となっていた。特に先住民との戦争では後の南北戦争で活躍する将校たちが拳銃の有効性を知るとともに、後述するモズビー遊撃隊のような騎馬警邏けいら隊(レンジャー)による襲撃が広く行われ、拳銃と騎兵の新たな戦い方を示したのである。


注4:1835年から1842年にかけて、アメリカのフロリダに居住していた先住民と合衆国との間で戦われた戦争で、合衆国が武力制圧した。バンデラ峠の戦いは、テキサスで起きた先住民との戦いで、テキサス州の法執行官であるテキサス・レンジャーが交戦、撃退した。

(上)コルト社最初の実用的な回転式拳銃「パターソン」。引き金はフレームに格納されており、撃鉄を指で起こすと出てくる方式だった。(下)大幅に改良された「ウォーカー」モデル。引き金にガードが設けられ、安全に携帯できた。